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PROFILE
TSUNAKI KUWASHIMA
Photographer.Born in Yoshiwara,in Tokyo in 1972.After and returning to Japan from London,he worked professionally in fashion,advertising,and magazine photography.As an ongoing pursuit he photographs bullfighting,dogfighting,and cockfighting,and in 2005 published the photocollection -「Togyuto Tokunoshima」、2006 「SYUAN」.In 2009,those two photocollections are in the collections of the British Museum and the Voctoria&Albert Museum in 2011.He won a prize of Ooki’s memorial furtherance fund for artist in 2013.It’s the first time in history for visual arts.He held the exhibition “The eternal idol” that produced “Jomon Doki(straw-rope patterned pottery)”, and “Dogu(a clay doll in a motif)”at the UNION Gallery in London 2013.
So,now he is standing on the world stage.
Invited as a Guest Professor at Yamanashi Prefectural University in 2018; invited as an ambassador to Fujikawa Town, Yamanashi Prefecture in 2023; produced 41 games and 81 games in 2022, and released 41 games in the APP store. Check this out !!
桑嶋 維 (クワシマ ツナキ)
ロンドンから帰国後、写真家としてファッション、広告、雑誌などで活躍。闘牛、闘犬、闘鶏などをテーマとした写真集、『闘牛島徳之島』(2005年/平凡社)、『朱殷』(2006年/求龍堂)や作品は大英博物館、ヴィクトリア&アルバート博物館、セインズベリー日本藝術研究所に収蔵される。広告エージェンシーでのセールス、プランニング、ディレクションなどの経験を通じ、写真を含む“伝え方”に重点を置いたコンテンツ制作の重要性に着目し、書籍、人、Web、店舗などメディア・プロデュースを手掛け始め、日本を代表するアイドルグループのリーダー大野智氏のアート写真集「FREESTYLE」、「FREESTYLE 2」、「FREESTYLE 2020」では、撮影および作品展示演出等のクリエイティブの一員を務める。2013年には視覚芸術分野史上初で公益信託 大木記念美術作家助成基金を受賞し、縄文土器、土偶をモチーフに制作した作品展「永遠のアイドル」をロンドンにて開催、フィールドがグローバルに。2018年山梨県立大学客員教授に招聘。2023年山梨県富士川町にアンバサダーとして招聘される。2022年41ゲーム、81ゲームを制作、41ゲームをAPPストアにて発表。
INTERVIEW
From Kyoto Graphie
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From "Photo365MAGAZINE&DIGITAL PHOTO LABO"
日本語
本能で感じるまま表現し続けたい 写真家・桑嶋維インタビュー インタビューvol.1
闘牛、闘犬、闘鶏など独特の世界観と迫力ある写真で、注目を浴びる若手写真家・桑嶋維さんの登場です。今年5月には写真集『朱殷』(求龍堂)を出版。一度見たら忘れられない、見るものの心をひきつけてはなさない、そんな写真を撮る桑嶋さんとはいったいどんな人物なのでしょう。今週より5回のロングインタビューにて、桑嶋さんに深く迫まっていきます。第1回目の今週は幼少時代のお話です。
曾祖母が築いた吉原の家 | |||||
生まれ育った環境や幼いころの体験が、何かを表現するきっかけやテーマに、何らかの影響を与えることは少なからずある。桑嶋さんの場合は、子供のころの経験から感じたことそのものが、大きく現在の作品に繋がっているようだ。 「僕は、その“生まれ育った環境”というところでは、半ば勝ったような気がします(笑)」 1972年東京生まれ。 「吉原は、僕の母方の実家なんです。僕の曽祖母というのは、なかなかのやり手実業家だったらしいんです。戦後、東京が焼け野原になった時、曾祖母は“ここは私の土地よ~!”って勝手に決めて、今の新宿や池袋のあたりにも土地を持っていたらしいんですよ(笑)。その中のひとつが、吉原だったわけです」 「曾祖母も、最初は遊女屋、いわゆる風俗店をやっていたらしいんです。今でも、あの辺りには風俗店が150店舗くらいありますけど、戦後の復興期には倍近くあったらしい。それだけ当然競争も激しかったわけです」 「そこで曾祖母は、“なんとかして、そのライバルをお客にすることができないか”って考えた。そこで思いついたのが、食堂だったんです」 「当時の遊女屋というのは、いきなり男女がひとつの部屋へ入って行為に及ぶ、という仕組みではなく、まずは遊女たちを呼び、お酒を飲んで、食事をする。そうやって楽しんだ後に…というような、粋な遊びをしていたわけですね」 「だから、食べ物の需要というのは、吉原には常にあったんだと思います。でも、うちは料亭のようなところではなく、あくまでも “普通の食堂”。その目の付け所がよかったんでしょうね。普通の食堂を作れば、吉原界隈で働く女の人やタクシードライバーなどが食べに来るんです」 | |||||
遊女とタクシードライバーに囲まれて | |||||
バブル崩壊で景気が傾く以前まで、桑嶋家の食堂の景気はとてもよく、家には住み込みで働く女性が常に2~3人いたという。住み込みの女性に加え、お店にやって来る遊女たち。桑嶋さんは生まれた時から、日常的にたくさんの女性たちに囲まれて育ってきた。 「風俗の女性が、よくうちの食堂でお客さんと待ち合わせをしていたんですが、お客さんを待っている間、子供の僕を可愛がってくれましたね」 「吉原の街というのは、なにか外の世界とは切り離されているような、まるで吉原一角が紫禁城みたいな感じです(笑)。だから、吉原のど真ん中に住んでいる子供もすごく少なかった。僕は、さながら紫禁城の中のラストエンペラーって感じでしたね(笑)」 食堂にやってくる客の半分は、遊女屋の女性たち。そして残りの半分は、女を求めてやって来る男たちを乗せた、タクシーの運転手がほとんどだったという。 「最近の風俗店というのは、誰にも顔を見られないようにドア・ツー・ドアで入っていけるけど、昔はタクシーでお店に出入りしている人が結構いたんです。それで、タクシーの運転手さんたちは、お客さんを待つ間、うちの食堂の座敷で時間をつぶしていることが多かったんです」 「タクシーの運転手さんって、お客さんを乗せていろいろなところに行く仕事でしょ。運転手のおっちゃんたちから、色んな場所の話を聞かせてもらうのが楽しくてね。だから、一番最初になりたいと思った職業は“タクシーの運転手さん”でした」 子供の頃から、遊び相手は、もっぱら風俗のお姉ちゃんか、タクシーの運転手さん。そして…。 「ヤクザのおじさん。今にして思えば、なんですけどね。当時は、“大人が着るスーツっていうのは、みんなダブルで縦縞模様が入っているんだ”と思っていました(笑)。コーヒーをビチャビチャとこぼしながら運ぶ僕に、“坊主ありがとう”って言って、おだちんをくれたりしました」 東京・吉原のラストエンペラーは、周りにいるバラエティーに富んだ、個性豊かな大人たちと遊んだり、話を聞いたりしながら、人一倍好奇心旺盛な少年となっていった。 | |||||
何でもありなんだ! | |
母方の実家は吉原で、商売気質な家系。一方で父方の家系は、元々宮城県の地主で家柄が良く、石巻から仙台へ行くのに、一度も他人の土地を踏まずに行くことができたという。 「親父は、そういう“家柄”みたいなものに対して、変な自信を持っていましたね」 家柄も良く、一流企業に勤務していた父親だけに、桑嶋さんへの教育指導は厳しかったのではないだろうか? 「うちは両親とも、全くの放任主義でしたよ。それに、うちの親父はね、本当に女性が好きでね、家にはめったに帰ってこなかったし(笑)。家族で夕食を食べるでしょ。食べ終わったと思ったら、“じゃあ、帰るか~”って親父が言うんですよ(笑)。“おいおい、どこへ帰るんだよ~”って感じですよね(笑)」 「時々、女性から家に電話がかかってきたりもしましたよ。親父が待ち合わせに来ないからって怒っているんです。仕方ないから僕は親父のふりをして、“おい、ちょっとくらい待っとけよ~”って言っておいて、後で親父にメモを残したりね(笑)」 「母親もちょっと変わっていて、最近家にいないなと思ったら、バイクでツーリングへ、なんてこともありましたよ。バイクが好きでね。僕ね、子供の頃、車は走っている時にずっと“キンコーン、キンコーン”ってチャイムが鳴るものだと思っていたんですよ。スピード出しすぎの時に鳴る車の警告音が、ずっと鳴っていたんです。うちの母親、かなりのスピード狂だったんですよ(笑)」 「そんな両親から受けた影響はといえば、“何でもあり!”っていうことですかね」 「吉原の食堂を作った曾祖母も、変わったばあさんでね。生前から“稼いだお金は一銭も残さないよ”と言っていたらしくて、実際に見事に使いきって亡くなりました(笑)」 「何に使ったかというと、一人でクイーンエリザベス号に乗って世界一周したり、南極へ行ったりしてたんですよ!! 確か、南極へ行った女性としては、世界で2番目だったんじゃないかな。だから、曾祖母はいろんな国のコインを持っていましたよ。“このお金を使っていた国は、今はもうないんだよ”なんて話を聞いたりしながら、子どもながらに“あ~国ってず~っとあるものじゃないんだ”って思った記憶があります」 「とにかく、当たり前だと思っている価値観が、次から次へと壊されていくんですよ。吉原という場所にしても、僕の曾祖母にしてもそうですけど、自分の想像を絶する人がいるんだ!って。社会のルールや常識の壁を、ぶち破って押し広げていく人物が、いつも僕の前に現れるんです」 編 集 後 記 5回にわたってお伝えするのは、新進気鋭の写真家“桑嶋維”さんです。第1回目の生い立ちからして独特で、とても個性豊かな方です。どうぞお楽しみに! |
本能で感じるまま表現し続けたい 写真家・桑嶋維インタビュー インタビューvol.2 | ||||||||||||||||||||||||
東京・吉原生まれ、子どもの頃から、遊び相手も個性豊かな大人たちという、稀有な環境で育った桑嶋さん。その環境が呼ぶのか、ご自身が引き寄せるのか、行く先々で、刺激的な経験をしながら成長し続けます…。今週は少年時代のお話から進学先、イギリスでのお話です。
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本能で感じるまま表現し続けたい 写真家・桑嶋維インタビュー インタビューvol.3 |
ムービーの勉強のためにイギリスに留学。そこで写真という表現方法に出会った桑嶋さん。“何かをやらなきゃはじまらない” と上を向き、行動をし続けるが、写真家・桑嶋維として活躍するまでには、紆余曲折があったようです。今週は帰国をしてからのお話です。 |
突然の帰国、そして営業 | |||||
デジタルフォトグラフィー科に編入して半年後の1997年暮れ、当時付き合っていた彼女との結婚を機に退学。しかも父親の病気が発覚し、急遽帰国することになった。4年間イギリスの学校で多くのことを学んだとはいえ、実績も何もないままでの帰国。日本での新たなスタートに不安はなかったのだろうか? 「僕は、オプティミストというか、なんでも良い方に考える人間なんです。本当に深く考えていなかったんですね。ただ、今でもそうですけど、やっぱり自分が面白いと思うものを伝える手段としては、コンテンポラリーな雑誌で最初に表現するのが一番だと思ったので、いろんな雑誌の編集部に売り込みに行きました。でも、当時はいつまでたっても連絡はこなかった。だから、もしかしたら僕の写真って違うのかな”って」 結局、義父の紹介で、山梨県で広告代理店へ就職。営業、企画、デザインを担当し、カメラマンに指示を出す立場になった。広告代理店に就職した時点で、桑嶋さんは既に27歳。毎月給料をもらえ、生活は安定した。 「それでも写真は撮り続けていました。写真を撮りたくて仕方がなくて、営業へ行くときにもカメラを持っていましたね。対象物は、山梨県らしいもの。その土地に行かなければ分からない、面白いものです」 ライフワークのように撮り続けたそれらの写真は、2005年『山梨日日新聞』で連載されることになった。週に1回、写真と文章で綴られた連載は、当初6回の予定を超え、全23回の連載となった。 「僕たちの周りには、ちょっと面白いなと思っても、行ってみなければ分からないことがたくさんあるんですよ。そして、僕がその場所に行けたのは、やっぱり写真家だからだと思うんです。写真を通じて、コミュニケーションをとれたり、知らない世界を垣間見ることができるんですよね」 「僕は、“こんな面白いことがあった”とか“こんないい子がいた”っていうことを、まず人に伝えたいって思うんですよ。そうやって撮りためていたものや、新たに取材したものを、日日新聞の連載で発表させていただいたというわけです」 「同じ日本国内であっても、カルチャーギャップを楽しむということかな。そういう感覚は、僕の生まれ育った環境、子供の頃の転校生活から感じたものそのままなんです」 | |||||
やっぱり写真がやりたい! | |||||
義父の紹介でせっかく就職した会社だったが、その約1年後に辞めてしまう。 「ある時、仕事で、1億円のスタジオを持つカメラマンの事務所へ行ったんです。事務所や美容室もついて、すごくかっこいいスタジオだった。でも、そのカメラマンは、仕事以外ではカメラを持つこともなく、自分の作品も撮らないって言うんですよ。僕は、こんなに写真が好きで、いつでもカメラを持って写真を撮っているのに…。だったら、もう一度勝負してみようと思ったんです」 会社を辞め、再び写真を持って、東京で営業を始めてはみたものの、やはり期待していたような反応を得ることはできなかった。編集部からの電話は鳴らなくても、毎日の時間、生活は規則正しくめぐってくる。とりあえずお金を稼ぐために、桑嶋さんは、自宅近くのレンタルビデオ屋でアルバイトを始めることにした。 「そのレンタル屋さんの先輩にあたる人も、実はカメラマン志望だったんです。東京で写真の学校を出て、カメラマンになるぞ、という矢先に父親が倒れてしまい、地元の山梨に帰ってきたらしいんです。彼は、広告写真をやりたかったみたいで、僕はいろいろな話を聞いて勉強させてもらいました」 ある時、写真展を見るために先輩に連れられて行ったのが、山梨県立美術館だった。 「二科展か何かで賞を受賞した人の写真展でした。また僕の悪い癖なんですけど、その作品を見た時に『この人が写真展をできるなら、僕にできないわけがない!』って思っちゃったんです(笑)」 「そこで僕はさっそくイギリスで撮った自分の作品を持って、美術館に直接交渉に行った。そうしたら、キュレーターの方が一発OKしてくださって、一番大きな会場を貸してくれたんですよ。『僕の作品で、この山梨にも風穴を開けなきゃ!』って、それがそのまま写真展のタイトルに。『エアーホール2000』です(笑)」 写真展の開催が決まったと同時にアルバイトを辞めた。『また僕の悪い癖なんだけどね…』と桑嶋さんは言うが、それだけの強い思いと行動力がなければ、今の桑嶋さんのスタイルはなかったのではないだろうか。何かに対する“思い”、はあっても、めぐってくるチャンスやタイミングをうまく自分のものにできる人というのは、なかなかいないのかもしれない。 | |||||
僕のサンクチュアリ | |
山梨での写真展が決まる以前から、東京での営業活動は地道に続けていた。そんな桑嶋さんに、ある一つの転機が訪れる。 「ある日、『DUNE』という雑誌の林文浩編集長から突然連絡がきたんです。今度“サンクチュアリ”というコンセプトで、9人の若手写真家による写真を掲載するんだけど、それに参加しないかって。その他の8人は、錚々たるメンバーでした。吉永マサユキさん、石坂直樹さん、菊池修さん…」 一人一箇所ずつ場所が振り当てられ、桑嶋さんが担当したテーマは“富士山”。新しく出版された写真集『朱殷』にも掲載されているが、桑嶋さんが撮影した“サンクチュアリ”は、薄紫色に染まる富士山を背にした小さな墓地に、おばあちゃんから孫までの親子3世代がいて、その空間を夕日が照らしているというものだった。タイトルは『祖霊家ラ』(それから)。 「富士山って、日本人にとって昔から何か特別な山なんですよね。父権の象徴だったり、霊山として祭られたり…様々なものの象徴だったりするんです」 「この写真を撮影した場所は、山梨県の忍野村。忍野八海という湧き水で有名な土地なんです。お墓というのは、昔から、その村の中で一番景色のいい場所に作るでしょ。しかも、このお墓は後ろに富士山がそびえ立っている。だから、この場所というのは、きっと何百年も前から人々にとって特別な場所だったんじゃないかと思ったんです」 「そこに写っている3世代にわたる4人の家族は、古いものから新しいものが、ひとつの輪になっているような絵にしたかった。サンクチュアリと呼ばれるようなところは、時代や流行的なものに流されない、ということを表したかったんです」 編 集 後 記 桑嶋さんは、本当に表現することが好きなんだなぁと、つくづく思いました。それに、普段みんなが見過ごしてしまいそうなもの、気づかないようなものへの目の付け所が面白いですよね。 |
本能で感じるまま表現し続けたい 写真家・桑嶋維インタビュー インタビューvol.4 | ||||||||||||||||||||||||
ある一本のビデオとの衝撃的な出会い。『闘牛』というドキュメンタリー、その中でもかなりのコアな分野のものでした。桑嶋さんは、このようなテーマと向き合い、果たしてどのような方法で発表していったのでしょう。今週は写真集制作について詳しくお話いただきます。
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本能で感じるまま表現し続けたい 写真家・桑嶋維インタビュー インタビューvol.5 | ||||||||||||||||||||||||
よき理解者たちと強力なチームワークで桑嶋さんの写真集『朱殷』が完成しました。最終回となる今週は写真集に登場した人々たちとのエピソードをお伺いしています。また、みなさんへのメッセージもありますので、お見逃しなく!!
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ロンドンから帰国後、写真家としてファッション、広告、雑誌などで活躍。闘牛、闘犬、闘鶏などをテーマとした写真集、『闘牛島徳之島』(2005年/平凡社)、『朱殷』(2006年/求龍堂)や作品は大英博物館、ヴィクトリア&アルバート博物館、セインズベリー日本藝術研究所に収蔵される。広告エージェンシーでのセールス、プランニング、ディレクションなどの経験を通じ、写真を含む“伝え方”に重点を置いたコンテンツ制作の重要性に着目し、書籍、人、Web、店舗などメディア・プロデュースを手掛け始め、日本を代表するアイドルグループのリーダー大野智氏のアート写真集「FREESTYLE」、「FREESTYLE 2」では、撮影および作品展示演出等のクリエイティブの一員を務める。2013年には視覚芸術分野史上初で公益信託 大木記念美術作家助成基金を受賞し、縄文土器、土偶をモチーフに制作した作品展「永遠のアイドル」をロンドンにて開催、フィールドがグローバルに。2018年山梨県立大学客員教授に招聘。2023年山梨県富士川町にアンバサダーとして招聘される。2022年41ゲーム、81ゲームを制作、41ゲームをAPPストアにて発表。
AWARD
2001:Won “The new face prize“ of Fuji Film Photo Salon 2013:Won a prize of Ooki’s memorial furtherance fund for artist.2013:Won a prize of The Great Britain SASAKAWA FOUNDATION for artist.
2001年:富士フォトサロン新人賞入賞。2013年:公益信託 大木記念美術作家助成基金の海外展示助成対象作家に視覚芸術作家として初選出。2013年:グレイトブリテン・ササカワ財団助成芸術家。
EXHIBITION
2000:Had a private exhibition “ Air Hole 2000”at The Yamanashi Prefectural Museum of Art 2010:10 of his works from his collection “Kuon- Eternity” were added to the collection of The Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures,England.Published photo collection “SNAPS 2”– a photo collection by the 120 photographers who love RICHO GRー.Participated as an invited guest. 2011:“Togyutou Tokunoshima” and “Shuan” were added to the collection of The Victoria and Albert Museum and was registered as the artist by the museum.Joined the exhibition “Unearthed” sponsored by The Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures.Participated as an invited participants.Gave lecture at the “Study Day” of the Exhibition “Unearthed”(Norwich, England).Joined the joint exhibition “Rebirth” at the gallery “Art 18/21“ (Norwich, England) 2013:Won a prize of Ooki’s memorial furtherance fund for artist.Had an exhibition “The Eternal Idols” at UNION gallery London U.K. 2016:Joined the exhibition “KYOTOGRAPHIE 2016″ at Kyoto Benrido Collotype Gallery. “Midsummer Death” exhibition at The Yamanashi Prefectural Museum of Art
2000年:「Air Hole 2000」 山梨県立美術館(山梨県)、 「Air Hole 2000」(期待される作家展)、ギャラリー近江(東京・銀座)。2010年:作品「久遠」がセインズベリー・日本藝術研究所/SAINSBURY INSTITUTE (英国)主催展覧会「UNEARTHED展」にて招待される。「UNEARTHED展」開催の為の「StudyDay」で講演。(英国・Norwich)。英国・Norwichのギャラリー1821にて合同展に参加。2013年:グレイトブリテン・ササカワ財団助成作家に選出される。「祈りの誕生と永遠のアイドルー The Birth of A Prayer & The Eternal Idols」展を英国、 The UNION galleryで開催。 (7/26~8/30まで。)2016年:「真夏の死」(京都・便利堂コロタイプギャラリー)京都グラフィー参加。「真夏の死」展覧会開催(山梨県立美術館主催)。
CV
1972:born in Tokyo,Japan.1994:Moved to England.1998:Came back to Japan.2000:Had a private exhibition “ Air Hole 2000”at The Yamanashi Prefectural Museum of Art 2005:Published photo collection “Togyu-tou Tokunoshima“/The Island of Bullfighting,Tokunoshima [Heibonsha Limited, Publishers] 2006:Published photo collection “Shuan” [Kyuryudo art publishing co.] 2009:“Togyutou Tokunoshima” and “Shuan” were added to the collection of The British Museum. 2010:10 of his works from his collection “Kuon- Eternity” were added to the collection of The Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures,England.Published photo collection “SNAPS 2”– a photo collection by the 120 photographers who love RICHO GRー.Participated as an invited guest. 2011:“Togyutou Tokunoshima” and “Shuan” were added to the collection of The Victoria and Albert Museum and was registered as the artist by the museum.Joined the exhibition “Unearthed” sponsored by The Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures.Participated as an invited participants.Gave lecture at the “Study Day” of the Exhibition “Unearthed”(Norwich, England).Joined the joint exhibition “Rebirth” at the gallery “Art 18/21“ (Norwich, England) 2013:Won a prize of Ooki’s memorial furtherance fund for artist.Had an exhibition “The Eternal Idols” at UNION gallery London U.K. 2016:Joined the exhibition “KYOTOGRAPHIE 2016″ at Kyoto Benrido Collotype Gallery. “Midsummer Death” exhibition at The Yamanashi Prefectural Museum of Art
1972年:東京都吉原に生まれる。1994年:渡英 セントラル・セント・マーティン カレッジのイブニングコース、ロンドン・カレッジ・オブ・プリンティング、タワー・ハムレット・カレッジ等にて、美術全般や写真を学び、作品を制作。1998年:帰国。東京。1999年:山梨にアトリエ開設。2000年:山梨県立美術館にて個展「Air Hole 2000」を開催。2005年:写真集「闘牛島 徳之島」(平凡社)2006年:写真集「朱殷」(求龍堂)2009年:写真集「闘牛島・徳之島」、「朱殷」が、英国・大英博物館収蔵される。2010年:作品「久遠」の一部(10点)が英国・SAINSBURY INSTITUTE(セインズベリー・日本藝術研究所)の収蔵作品となる。写真集「GR SNAPS 2」 GRを愛する120名のアーティストによるスナップ写真集に招待参加。作品「久遠」が英国・SAINSBURY INSTITUTE(セインズベリー・日本藝術研究所)主催の 展覧会「UNEARTHED展」にて招待される。「UNEARTHED展」開催の為の「StudyDay」で講演。(英国・Norwich) 英国・Norwichのギャラリー1821にて合同展に参加。2011年:写真集「闘牛島・徳之島」、「朱殷」が、英国・ヴィクトリア&アルバート博物館に収蔵され、 登録される。2013年:公益信託 大木記念美術作家助成基金の海外展示助成対象作家に選出される。2013年:グレイトブリテン・ササカワ財団助成作家に選出される。「祈りの誕生と永遠のアイドルー The Birth of A Prayer & The Eternal Idols」展を英国、 The UNION galleryで開催。 (7/26~8/30まで。)「Foil Art」展(京都・建仁寺)2016年:「真夏の死」(京都・便利堂コロタイプギャラリー)京都グラフィー参加。「真夏の死」展覧会開催(山梨県立美術館主催)。
GROUP EXHIBITION
2009:“Zasshi Henshucho ga Erabu Mottomo Kitaisuru Sakkaten” – Editor’s choice, the most promising artists [RICHO Gallery Ginza] “RICHO Shinrin Kyusai Charity Shashinten” – RICHO Save the Forest Charity Exhibition [RICHO Gallery Ginza] 2010:“RICHO GR SNAPS” [RICHO Gallery Ginza] 2013:“Foil gallery VS Zenkyoan” [Kyoto,Japan] an art exhibition by contemporary artists. (Yoshitomo Nara, Ryouji Arai,Tsunaki Kuwashima,& ETC..)
2009年:「雑誌編集長が選ぶ最も期待する作家展」 (リコー・ギャラリー 銀座)、「リコー・森林救済チャリティー写真展」 (リコー・ギャラリー 銀座) 2010年「リコー・GR SNAPS/スナップス展」 (リコー・ギャラリー 銀座)。2013年:「Foil Art」展(京都・建仁寺)